2014/09/20

ヨーロッパ3部作


自宅静養中の休日は音楽鑑賞。
「加藤和彦ヨーロッパ三部作・最新リマスター」
今年の春に発売されていた事をネットで見つけて
amazonでお酒の勢いもあって速攻でクリック。
本日届きました。

これまで発売されていたCDでは抜けてしまった音源があったりして
レコードで親しんでいたファンの間ではがっかりなものだったのですが、
このセットではしっかり復活。
何十年かぶりに聞けた、Lazy Girlのコーラス。
Missing Pieceが埋まって何だか、ほっ。

1979「PAPA HAMINGWAY」
1980「うたかたのオペラ」
1981「Bell Excentrique」

30年以上経つ作品ですが、この当時加藤さんが到達した高みは
あまりにも圧倒的で、安易なフォロワーを生まなかった事が
一般的な知名度を上げなかった理由なのかも知れません。

参加していたミュージシャンも圧巻なんですけどね。
坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣、大村憲司、小原礼、矢野顕子etc

2014/08/31

アキレス腱断裂


夏の終わり、、、
まさかのアキレス腱断裂。
スポーツジムで頑張り過ぎてしまいました。これは何かの天命なのかと、この秋は芸術とか学問の秋にしたいと思います。約束していたイベントにしばらく行けなくなりそうで皆さんごめんなさい(>_<)

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手術からリハビリの記録

「アキレス腱断裂」そう題したWEBサイトの多いこと。
そして、同じ経験をした者同士だからこそわかる気持ち
僕も綴っていく事にします。
アンラッキーな見知らぬ友人達へ^^

■2014/8/31
夏の終わりの日曜日、スポーツジムでマーシャルアーツの
連続蹴り技をしている際、地面に足を付いた瞬間「バキボキ」
と音が。誰だ僕のアキレス腱を蹴とばしたのは、と振り返っても
誰もいない。そのまま救急車からの病院で包帯とあて木の応急処置。

■2014/9/4
手術をしました。AM10:00。
下半身麻酔でうつ伏せの状態。40分くらい。
手術後辛かったのは麻酔が切れてきた夕方ころ。
傷口でなく、ベッドのせいなのか腰が痛くてたまりません。
仰向けで手術した足を少し高くしてる姿勢。そして腕に点滴。
トイレに行かないで済むように手術後麻酔が効いてる時に
尿道に管入れられてました。
夜中は何度も目を覚まし、腰は痛いし、寝返り打つと
あそこはアーだし・・・。

■2014/9/5
朝、管を抜かれ生きた心地。

■2014/9/6
退院。この病院は割と患者にドライかも。
3-4日おきに傷の消毒に行きました。抜糸まで。
松葉杖生活の始まり。

幸いな事に、体重が軽めです。
167cm 58kg
フルマラソンは4-5時間でなら走れます。
スポーツジムで筋トレも適度にしていたので
松葉杖歩行結構上手です。


■2014/9/8
ラッシュ時間をずらして、仕事に復帰。片道一時間の通勤。
事務職なので、ほぼ座り仕事。

そして、怪我した脚の動かせる所は積極的に動かすようにしました。
足の指でゴルフボールをにぎる、足を持ち上げたりする運動。

アキレス腱に良いかと思い、週に一度は
韓国料理屋で「豚足」食べ始めました。

それから、コンドロイチン、グルコサミンなどが
入ったプロテイン「グリコ・ジョイントプラス」を
毎朝飲み始めました。

■2014/9/19
抜糸。ギブス(青い固いギブス用包帯)のまき直し。
足首の角度がそれまでより少し鋭角に固定されました。
90度までは行かず。
お酒は解禁。

■2014/9/26頃
ギブス内の遊びの空間で動かせる所は良く動かしました。
杖なしでも両足歩行を室内では少しできます。

■2014/10/3
ギブスが取れました。普通は装具を付けるらしいのですが
ここの先生は、装具は付けない主義のようです。
「いい治り具合です」と褒められ、そのままゆっくり
杖付きながら両足歩行で、約1km歩いて帰りました。

■2014/10/17
通院。「もう杖付かないでください」と先生。

日に日に歩幅も広がり、歩くスピードも増してきました。
「運動は11月からです」との事

■2014/10/31
通院。「いいですね、もう治ってます」との事。
後は自分で筋肉つけなさいって事ですね。

■2014/11/6頃から
会社は11階にあります。階段で上がることにしました。

■2014/11/21
少し、怪我した方の足でつま先立ちができるように
なりました。まだ歩行は少しだけびっこひいてます。

■2015/1/1
元旦のお神輿を担ぎました。少し怖かったけれど
準備運動を多くして、全盛時期より少し加減して。

■2015/1/2
4月のマラソン大会に向け
ゆっくりジョギング開始
距離6km、40分 6.3km/h

■2015/4/19
かすみがうらマラソン大会
フルマラソンを何とか完走。
6時間近く掛かりました。。。
でも、完全復活を心身確信した日
手術から7か月目です。

■2015/8/31
丁度1年・・・
健康への感謝を忘れそうになっています。
毎年この日は、健康である事に感謝する
そんな日にしようかと思います。

(完)

2014/06/12

Comet, Come To Me



ただただ素晴らしいです。

Meshell Ndegeocello (ミシェル・ンデゲオチェロ) のアルバム
「Comet, Come To Me」
僕のような素人でも彼女の音が、そこらにあるものと圧倒的に違う事くらいすぐ分かるし
次の瞬間に鳴る音が全く予想外なのに完璧にフィットしているのに舌を巻きます。
ソウルだジャズだヒップホップだレゲエだロックだ・・・とかそんな境目を重力が
無いかのように跳び越え、次から次へと繰り広げられる心地よい裏切りにニッコリ降参。

Youtubeで全曲聴けます(Official)。

http://www.youtube.com/watch?v=3vrBxqFxHWE&list=PL-B2uT9e7MWi2ZeGaWPj-MYAYOq99pIFq

2014/01/22

再会

秋に突然連絡のあったスミオ君と約束通り
新年会(忘年会の日程がつかず)を開催。
我々男に二言なく、再会が実現した事に自画自賛。

この日はスミオ君の他にキヨちん、チャラぼうも
加え計4人の新年会。僕にとっては35年ぶりの
顔ぶれだった。

お酒の力も加わり、あっという間に
35年前に。
だれだれちゃん(女子)の話は、お約束的だけど
あいつが他界して・・・とか
あいつが消息不明・・・とか
35年の月日とは、そういう所で現る。

ホントはみんなそれなりに苦労をし
何かを抱えているのだろう。
会話の所々に、そんな破片が見え隠れする。
「お前なら大丈夫だよ!」
根拠なくさっぱりと言う、キヨちんは
相変わらずだ。その変わらぬ軽妙さに
涙が出そうになった。

単身赴任が長くてさ・・・
体型が横に延びたチャラぼうはサラリと言う。

こうして会える、集まれるなら
僕らは大丈夫だ。
だから、集まれなくなった
仲間が心配だ、だって友達だろ。
と熱く語るスミオ君も変らない。

ハリッペ(僕の昔のあだ名)今度は女子呼ぼうな!
それから
ヨシノの行方探ろうな!

そんな約束をして僕らは3件目のラーメン屋まで
子供のように遊んだ。
みんなまたね!

2014/01/02

1981~1982



新年は「A long vacation」ばかり聴いている。

年末の大滝詠一さんの訃報に、ただ驚くばかり。
そのアルバムは1981年、友人のT君からもらったカセットで
初めて聴いた。T君は「お前は絶対これが好きなはずだ」とか言って
よくカセットをくれた。サザンオールスターズの「ステレオ太陽族」
なんかもそうだった。センチメンタルでロマンチックな曲は
とにかく僕向けらしい。

ロンバケでは「恋するカレン」、サザンでは「栞のテーマ」を
とにかく聴け!だったね。でもその当時は浪人生活を送っていて
遊んでいる友人達を羨んでいたつもりはないけれど、
実はカレンも栞のテーマもちょっと違うって思っていた。
もっとロックだろ、そんなお洒落は嘘だろと。

そんな疑問符ばかりの生活をしている僕に向かって
完璧な矢を放ってくれたのが佐野元春さんのアルバム「Someday」だった。
いつかと題された曲、たどり着きたいと叫ぶ楽曲。
僕と世の中の間の溝を美しく昇華させてくれた恩人のような作品だ。
このアルバムは予備校で知り合ったN君が、「絶対お薦め」
と言ってカセットをくれたのが最初の出会いだった。

アルバム「Someday」の中には「A long vacation」のDNAがある。
それは「Niagara Triangle Vol.2」で大滝さんと佐野さんが出会った
事によるもので、清らかに透明で、洪水のように分厚い音は
そこで引き継がれているように思う。

「A long vacation」がすっと聴けるようになると
このアルバムの中にある音楽の宝物の多くを知る事ができた。
お陰で古今東西のポピュラーミュージックを
幅広く聞けるようになったと思う。

大滝詠一さん、本当にありがとうございます。
そして僕に音楽を教えてくれる大切な友達のみんな
いつもありがとう。
今年もよろしくお願いします。