2023/07/12

百日紅(サルスベリ)

庭の百日紅が今年も元気に咲いた。

一年前は病院の窓から満開の大きな百日紅を

眺めていた。

悪性リンパ腫という病気だと分かったのは

去年の今頃。1ヶ月入院し年末まで4ヶ月間

抗癌剤治療を続けた。

これが上手く行った。病気が正確に特定でき

その治療方法が確立していたからだ。

何より僕の身体が抗癌剤に負けずにいてくれた

事も大きい。


全てが初めて経験だった。

命が無くなるかも知れないと言う事に関して

想像力は十分に発揮できなかった。

崇高な思いなど確立されずに、相続だとか

知人友人への連絡だとか事務的な事ばかり

頭をよぎった。


一生無理かもと思っていた早起きが普通にできた。

その間はお酒も飲まなかった。敵が明確だった。

やるべき事がシンプルだった。

元気に生きると言う事だ。



身体から癌が消えて寛解した後は、ゆっくりと

元に戻った。体重も起きる時間もお酒も。


今年は還暦を過ぎ、本厄も終え61歳になる。

仕事は昨年そんな事もあり定年退職をした。

そして今は就職活動中だ。


第二の人生と良く言うけれど、実感としては

一も二もなく多分今は川の良い流れの中の一瞬だ。


そんな風に思える事は、昨年の経験が

あったからなのかも知れない。


なんとなくだけれど、全体的にザクっと

満遍なく言いたい事は

「ありがとうございました(万物に)」

と言う事、本当に。

2021/09/16

風のくぼやん

今日のニュースでフォークデュオ「風」の大久保一久さん
(くぼやん)が他界された事を知った。

10代の頃は洋楽派で邦楽はあまり聞かなかったのだけれど
「風」は何故か特別だった。きっかけは伊勢正三さんの
楽曲だったのだけれど何年もかけて聴いているうちに、
本当に心に馴染む曲は大久保一久さんの曲が多い事に
気づく。

くぼやんの「ロンリネス」という曲は、歴史的な名曲では
ないかも知れないけれど、何か大きなものを失った時
どうしようもない空虚な時間を静かに歌い上げてくれる
僕にとっては特別な一曲。


 「古都」という曲では、その世界に惹かれて高校時代
友人達とと旅行をした。 画像は1980年3月の京都で
歌詞に出てくる「日が沈む嵐山」「にぎやかな四条通り」
そして横っちょの写真は大人ぶった当時の僕ら。

この旅行が忘れられなくて高校卒業後、僕は東京を離れて
京都で4年間学生生活を送った。風を聞かなかったら別の
人生を送っていたかも知れません。

ありがとう、くぼやん。

2015/05/11

マグリットとデミアンの思い出


国立新美術館のマグリット展に行き
海から羽ばたく鳥を描いた「大家族」に
再会しました。

この絵との最初の出会いは10代の終わり頃
ヘルマン・ヘッセの「デミアン」という
小説を読んだ直後だったと記憶しています。
ものすごく感銘と影響を受けた小説で
その中のこんな一節があまりにも
この絵そのものに思えてちょっと驚きました。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。
卵は世界だ。生まれようと欲するものは
一つの世界を破壊しなければならない。
鳥は神に向かって飛ぶ・・・」

そして今夜はその一節を探すために
何十年かぶりに「デミアン」とも再会しています。

2014/09/20

ヨーロッパ3部作


自宅静養中の休日は音楽鑑賞。
「加藤和彦ヨーロッパ三部作・最新リマスター」
今年の春に発売されていた事をネットで見つけて
amazonでお酒の勢いもあって速攻でクリック。
本日届きました。

これまで発売されていたCDでは抜けてしまった音源があったりして
レコードで親しんでいたファンの間ではがっかりなものだったのですが、
このセットではしっかり復活。
何十年かぶりに聞けた、Lazy Girlのコーラス。
Missing Pieceが埋まって何だか、ほっ。

1979「PAPA HAMINGWAY」
1980「うたかたのオペラ」
1981「Bell Excentrique」

30年以上経つ作品ですが、この当時加藤さんが到達した高みは
あまりにも圧倒的で、安易なフォロワーを生まなかった事が
一般的な知名度を上げなかった理由なのかも知れません。

参加していたミュージシャンも圧巻なんですけどね。
坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣、大村憲司、小原礼、矢野顕子etc

2014/08/31

アキレス腱断裂


夏の終わり、、、
まさかのアキレス腱断裂。
スポーツジムで頑張り過ぎてしまいました。これは何かの天命なのかと、この秋は芸術とか学問の秋にしたいと思います。約束していたイベントにしばらく行けなくなりそうで皆さんごめんなさい(>_<)

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手術からリハビリの記録

「アキレス腱断裂」そう題したWEBサイトの多いこと。
そして、同じ経験をした者同士だからこそわかる気持ち
僕も綴っていく事にします。
アンラッキーな見知らぬ友人達へ^^

■2014/8/31
夏の終わりの日曜日、スポーツジムでマーシャルアーツの
連続蹴り技をしている際、地面に足を付いた瞬間「バキボキ」
と音が。誰だ僕のアキレス腱を蹴とばしたのは、と振り返っても
誰もいない。そのまま救急車からの病院で包帯とあて木の応急処置。

■2014/9/4
手術をしました。AM10:00。
下半身麻酔でうつ伏せの状態。40分くらい。
手術後辛かったのは麻酔が切れてきた夕方ころ。
傷口でなく、ベッドのせいなのか腰が痛くてたまりません。
仰向けで手術した足を少し高くしてる姿勢。そして腕に点滴。
トイレに行かないで済むように手術後麻酔が効いてる時に
尿道に管入れられてました。
夜中は何度も目を覚まし、腰は痛いし、寝返り打つと
あそこはアーだし・・・。

■2014/9/5
朝、管を抜かれ生きた心地。

■2014/9/6
退院。この病院は割と患者にドライかも。
3-4日おきに傷の消毒に行きました。抜糸まで。
松葉杖生活の始まり。

幸いな事に、体重が軽めです。
167cm 58kg
フルマラソンは4-5時間でなら走れます。
スポーツジムで筋トレも適度にしていたので
松葉杖歩行結構上手です。


■2014/9/8
ラッシュ時間をずらして、仕事に復帰。片道一時間の通勤。
事務職なので、ほぼ座り仕事。

そして、怪我した脚の動かせる所は積極的に動かすようにしました。
足の指でゴルフボールをにぎる、足を持ち上げたりする運動。

アキレス腱に良いかと思い、週に一度は
韓国料理屋で「豚足」食べ始めました。

それから、コンドロイチン、グルコサミンなどが
入ったプロテイン「グリコ・ジョイントプラス」を
毎朝飲み始めました。

■2014/9/19
抜糸。ギブス(青い固いギブス用包帯)のまき直し。
足首の角度がそれまでより少し鋭角に固定されました。
90度までは行かず。
お酒は解禁。

■2014/9/26頃
ギブス内の遊びの空間で動かせる所は良く動かしました。
杖なしでも両足歩行を室内では少しできます。

■2014/10/3
ギブスが取れました。普通は装具を付けるらしいのですが
ここの先生は、装具は付けない主義のようです。
「いい治り具合です」と褒められ、そのままゆっくり
杖付きながら両足歩行で、約1km歩いて帰りました。

■2014/10/17
通院。「もう杖付かないでください」と先生。

日に日に歩幅も広がり、歩くスピードも増してきました。
「運動は11月からです」との事

■2014/10/31
通院。「いいですね、もう治ってます」との事。
後は自分で筋肉つけなさいって事ですね。

■2014/11/6頃から
会社は11階にあります。階段で上がることにしました。

■2014/11/21
少し、怪我した方の足でつま先立ちができるように
なりました。まだ歩行は少しだけびっこひいてます。

■2015/1/1
元旦のお神輿を担ぎました。少し怖かったけれど
準備運動を多くして、全盛時期より少し加減して。

■2015/1/2
4月のマラソン大会に向け
ゆっくりジョギング開始
距離6km、40分 6.3km/h

■2015/4/19
かすみがうらマラソン大会
フルマラソンを何とか完走。
6時間近く掛かりました。。。
でも、完全復活を心身確信した日
手術から7か月目です。

■2015/8/31
丁度1年・・・
健康への感謝を忘れそうになっています。
毎年この日は、健康である事に感謝する
そんな日にしようかと思います。

(完)

2014/06/12

Comet, Come To Me



ただただ素晴らしいです。

Meshell Ndegeocello (ミシェル・ンデゲオチェロ) のアルバム
「Comet, Come To Me」
僕のような素人でも彼女の音が、そこらにあるものと圧倒的に違う事くらいすぐ分かるし
次の瞬間に鳴る音が全く予想外なのに完璧にフィットしているのに舌を巻きます。
ソウルだジャズだヒップホップだレゲエだロックだ・・・とかそんな境目を重力が
無いかのように跳び越え、次から次へと繰り広げられる心地よい裏切りにニッコリ降参。

Youtubeで全曲聴けます(Official)。

http://www.youtube.com/watch?v=3vrBxqFxHWE&list=PL-B2uT9e7MWi2ZeGaWPj-MYAYOq99pIFq

2014/01/22

再会

秋に突然連絡のあったスミオ君と約束通り
新年会(忘年会の日程がつかず)を開催。
我々男に二言なく、再会が実現した事に自画自賛。

この日はスミオ君の他にキヨちん、チャラぼうも
加え計4人の新年会。僕にとっては35年ぶりの
顔ぶれだった。

お酒の力も加わり、あっという間に
35年前に。
だれだれちゃん(女子)の話は、お約束的だけど
あいつが他界して・・・とか
あいつが消息不明・・・とか
35年の月日とは、そういう所で現る。

ホントはみんなそれなりに苦労をし
何かを抱えているのだろう。
会話の所々に、そんな破片が見え隠れする。
「お前なら大丈夫だよ!」
根拠なくさっぱりと言う、キヨちんは
相変わらずだ。その変わらぬ軽妙さに
涙が出そうになった。

単身赴任が長くてさ・・・
体型が横に延びたチャラぼうはサラリと言う。

こうして会える、集まれるなら
僕らは大丈夫だ。
だから、集まれなくなった
仲間が心配だ、だって友達だろ。
と熱く語るスミオ君も変らない。

ハリッペ(僕の昔のあだ名)今度は女子呼ぼうな!
それから
ヨシノの行方探ろうな!

そんな約束をして僕らは3件目のラーメン屋まで
子供のように遊んだ。
みんなまたね!